戦場ヶ原星景

このまま梅雨前線はどこかに雲散霧消してしまい、また暑い夏となりそうです。特にご高齢者がいらっしゃるご家庭では室温・湿度の調整と適度な水分補給に気を付けてあげてください。テレビやラジオで熱中症の報道が流れると、ふと高校時代に在籍していたサッカー部の夏合宿を思い出します。朝6時に起床して朝食をすませた後、二人一組で重い鉄のトンボを押したり引いたりしてグラウンドを整地し水撒きをします。そこからお昼まで休憩なしでトレーニングを行いお昼のあとは夕方6時まで過酷なトレーニングを続けるのですが、真夏の太陽が照りつける炎天下で走り回っているわけなので視界は黄色のカラーコンタクトを装着したみたいな色になり、当時は根性を鍛えるため水分の補給は厳禁でしたので地面に突っ伏して嘔吐しても、もはや胃液さえも出てこないわけです。それでも部員全員が今日ニュースで流れているような熱中症とは無縁でした。一日の練習を締めくくる反省会では先輩やOBの方々を円陣になって囲み胸の位置に手をあてながら厳しい指摘と激励のお言葉を頂戴するのですが、最後には必ず決まって「坂いこ」の言葉が待っており、心臓破りの坂を「ダア~~~ッ」とか「ディエ~~イ」といった気合の雄叫びをあげながら猛ダッシュで何度も駆け上っては駆け下りるを繰り返すことが一つの伝統となっていました。それでも夕方になり少し涼しくなると体調も回復してくるので暗くてボールが見えなくなるまで自主トレを続けたりすることもできていたのです。すでに皆熱中症だったのかも知れませんが、その痛みや辛さ苦しさを糧に精神と肉体を鍛錬するという意識が先行していたので医者とか救急車といった概念の欠片さえありませんでしたし、実際具合が悪くなって木陰で休む者や医者に運ばれて行った者は皆無でした。当時は今日のようなまるで電子レンジの中でチンされているような奇妙な暑さではなかったからかも知れません。さて、暑い夏に暑苦しいお話となってしまいましたので、お詫びに涼しそうな写真をアップします。1978年の11月初旬、深夜3時頃に日光の戦場ヶ原から男体山を写したもので背景には木星や土星、こいぬ座のプロキオンといった星々が輝いています。画面が真昼のような明るさにならないよう露出時間を短く調整しているため、星の明るさは肉眼でみているよりずいぶん暗くなってしまっていますが、実際には木星はこの時マイナス2.2等級という明るさでしたので煌々と輝いていました。この撮影のあと気温が氷点下まで下がり指先の感覚が無くなり機材を運ぶバックパックもかちんこちんに凍りついてしまったため、撮影はこの一枚が最後となりました。

MAMIYA645、MAMIYA-SEKOR C 55mm F2.8

Senjyougahara, Jupiter

 

☆IndexJupiter1978index

 

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