「帰去来」 2021.9.14

量子が最短経路を選択するような
自らの意志ではどうすることもできない
重力のようなものが存在している

自らの意志とは無関係な細胞結合により
生命体を絶やさぬためのプログラムが励起され
人智を超えた生命体が発現し
生成と消滅が連綿と繰り返される
このホログラムの宇宙の光源

*

「遠い記憶」 2021.03.18

幼稚園の頃の、記憶の断片が鮮明に残っている
淡いビリジアン・グリーンの背景にヨットとカモメが描かれた
擦れたアルミニウム製の弁当箱
深海魚類図鑑を手に
掛け布団でつくったにわか作りのテントにもぐり込むと
そこはすっかり深海の底になった
懐中電灯の灯りに照らし出される幻想的な提灯鮟鱇のイリシウム
青白い微光に照らし出されたプランクトンたちが
俄かにチンダル現象の浮遊をはじめる
この闇と光はプラネタリウムであり
宇宙の原風景なのだ

*

「マースク」 2021.01.30
 
憧れのヘプタグラムはマースクのファンネルマーク
まるで宝石のように朝日に輝くシーランド・イノベーター
重い船荷を背負いながら憧れの船をみていた遠い日の記憶
会社のポンコツ車で本牧埠頭に行く途中
海岸道路を迂回して外人墓地のある山手の道を通り
横目でフエリスの学生を見ていた夏の午後

外人倶楽部にあったハイカラなビリヤード台は人生の箱庭
色とりどりの玉が弾き合い絡み合いながら
それぞれの人生を刻んでいった

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「白の女性」 2021.01.26

私が横浜の山下公園近くにある営業所に赴任して間もない頃
帰宅時は遠回りをしてでも馬車道通りを歩き関内の駅に向かった
その夜通りに人影はなくしんと静まり返っていた
すでに店のシャッターは全部降りて街燈だけが灯っている
自分の影が長く伸びたり縮んだりしながら歩くのは
ケンタウル祭のようで何か神秘的だった
小さな十字路を曲がった高級舶来店の前にその人は立っていた
薄暗い灯りの下で、白いドレスを着て、白い傘を持ち
威厳のある白く美しい顔の女性がそこに立っていた
まるでその人自身が発光しているかのように
淡く白い光が全身を包み込んでいた
私たちはほんの一瞬互いに目で挨拶を交わした
その時の光景は半世紀近く過ぎた今でも
鮮明に私の記憶に焼き付いている
それから幾度となく馬車道を通り帰宅したが
その人を見かけたのはその時が最初で最後だった
しかしその瞬間は宇宙の辺縁に記憶され
冷たい暗黒物質の中で
私たちは光速者として那由他の頃に邂逅するだろう

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「重力」 2020.12.21

アインシュタインの特殊相対性理論には、
ある場所で発生した事象は光速を超えて別の場所に
存在する第三者にその情報を伝えることはできない
といった大原則がある。もしこの原則を破ってしまうと
時間が逆行してしまい因果律が破れてしまうことが
その背景にある。ある観測者からみて十分に遠い
宇宙空間は光速を超えて膨張していると考えられるが、
空間における距離の膨張率が光速を超えてしまうことから、
その遥か遠くの宇宙空間で発生した情報が光速を超えて
観測者に届けられることはなく観測不可能となるため、
相対論的因果律にはなんら矛盾しないのだとされている。
つまり光速を超えて情報が伝わってはならないという
原理原則を守りさえすれば光速の速度制限には抵触しない
ということだ。宇宙の空間自体が光速を超えて膨張している
としても、光速を超えて情報が伝わるわけではないため
速度制限のお咎めを受けることなく、光速スピード違反を
取り締まるハイパー白バイに検挙されることはないのだ。
しかし私の個人的な思いを吐露してしまえば、
どのような手段でも、
たとえ光速白バイの追跡を振り切ってでも、
あの日の土曜日の実験室に戻りたいと思うことがある。
さて、ここでさりげなく空間自体が膨張することが
理論の辻褄をあわせるための大前提となっているが、
そのことの意味を十分つきつめると重力とは何かといった
答えに行き着く。身近なこの地球を例にとると、
空間と定義されたこの辺境な器の中でさえ人間を含む
素粒子よりもさらに極微のレベルで膨張していることに
違いはない。この宇宙のすべてが同時に膨らんでいる
のだから、どこといってその中心もない膨張を続けて
いることになる。等倍で膨張していることから、
仮に過去のAと定義された時点で直径が1メートル
であった物体Xが未来のBと定義される時点では
2倍に膨張して直径が2メートルになったとしょう。
同様に過去のA時点で直径が1万キロメートルで
あった物体YはB時点では2倍に膨れあがり直径が
2万キロメートルになる。一方、同じ器(系)の中に
同時に存在し同じ割合で膨張する物体Xと物体Yは、
同じく同じ器に存在し同じ割合で膨張する物差しで
測定されることから二つの物体の長さや相対的な
位置情報に変化は見られず、あたかもそれらが
ずっと静止したままであるかのように見えるのだ。
つまり物体Xと物体Yの膨張の割合の和が加速度と
なり、私たちはそれを重力として体感する。
現代物理学者は一般相対性理論での重力波を媒介する
素粒子を血眼になり追いかけているようだが
存在しないものを見つけることはできない。

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「木星からの使者」 2020.12.19

私が山下公園近くの小さな事務所で働きはじめて間もない頃のこと。
北欧の白い豪華客船が去ったばかりの雨の日の正午、
私は県民ホールの最上階にある英一番館でランチをしていた。
雨滴のついた大きな窓ガラス越しに埠頭の景色を眺めているうち、
にわかに公園を散歩したいといった衝動に駆られた私は
昼食もそこそこに読みかけの「シーシュポスの神話」をポケットに入れ、
傘をさして公園に向かった。人影のない公園のインド水塔の前あたりで
立ち止まり霧雨にけぶる港の風景をみていたときのこと、突然後ろから
「こんにちは」と声をかけられた。振り返ってみると質素な身なりの男が
傘もささずそこに立っていた。堀の深い顔に微笑をたたえて懐かしそうに
私を見ている。誰もいないはずの公園でいきなり声をかけられたものだから、
返す挨拶も忘れて思わずどこから来たのかと訊ねてしまった。
その男はやはり微笑んだままごく自然に木星から来たのだと答えた。
今は大学の考古学の先生のところで古い地層の発掘のお手伝いを
していると言う。その日の私の記憶はここで途絶えている。
今から約半世紀も前のお話です。

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「かにかくに祇園はこひし」 2020.9.14

私は京都駅前のホテルの裏通りにあるビアホールに向かった。
店の前には順番を待つ人の長い列が出来ていたが、
幸いなことに1名だけの立ち飲み席が空いたとのことで
すぐに中に案内された。店内は活気に溢れオレンジ色の
電球に煌々と照らされた人々の表情は皆明るく地上にある
幸せがこの一点に凝縮されているかのようだった。
ビールジョッキを傾けながらその日カメラに収めた画像を
確認しているうちに、これまで一度も訪れたことがなかった
夜の祇園をどうしても撮りたくなり慌てて店の会計を済ませ
八坂神社方面に向かうバスに飛び乗った。先斗町を通り抜け
夜の祇園を白川に沿って歩いているといつしか巽橋に来ていた。
暗闇の中に石碑がたっている。目を凝らしてよく見ると、

「かにかくに 祇園はこひし 寐るときも 
 枕の下を水のながるる」

と刻まれている。まだ学生だった頃、私は夏休みになると
マルーンカラーの電車に乗り阪急六甲から京都まで毎日の
ように通い、私の胸の底に存在していた花をかざした幻影の
人を探して先斗町や祇園を彷徨っていた。消えゆく直前の
線香花火の微かな火花のようにその頃のモノトーンの記憶が
蘇っては消えていった。この宇宙の辺境で一時の生命を授かり、
朝露のように消えてゆくその刹那に私は夜の祇園を逍遥して
いる。流れ落ちる真砂が虚空で静止したままの壊れた砂時計。
アキレスと亀のパラドックス。今という時間は存在できない。
今は発現と同時に過去と呼ばれる時間に飲み込まれ風化され
無意識の海の底に沈殿してゆく。ふと我に返った私は苦い
青春の時に邂逅した幻影の人を探して人影のない静まり返った
花見小路通りあたりを彷徨い歩いたがついに幻影の人と
逢うことはなかった。