「写真論」 2021.01.30

僕はいったい何を撮りたいのか? 人生? 喜び? 悲しみ? やっぱり悲しみかな。その時はわからない。だけどずっと後になって、悲しみが昇華された後ではじめてわかる写真。そういった写真が撮りたいんだ。

「マースク」 2021.01.30

憧れのマースクのヘプタグラム。宝石のように朝日に輝くシーランド・イノベーター。遠き良き日の記憶。重い船荷を背負いながら船をみていた。僕は船乗りになりたかった。会社のポンコツ車で本牧埠頭に行くのに、海岸道路を迂回して外人墓地のある山手の道を通り、横目でフエリスの女子学生を見ていた午後。埠頭の外人倶楽部にあったハイカラなビリヤード台。人生の箱庭のような台の上で、それぞれの玉が弾き合い絡み合いながら人生の時を刻んでいった。

「白の女性」 2021.01.26

私が就職して間もない頃、赴任地にあった馬車道通りが好きで帰宅時は遠回りをしてこの通りを歩いて関内の駅に向かうこともあった。その夜、馬車道通りに人影はなくしんと静まり返っていた。すでに店のシャッターは降り、街燈だけが灯っている中を自分の影が長く伸びたり縮んだりしながら歩くのは不思議な感覚だった。小さな十字路を曲がった角にその人は立っていた。薄暗い灯りの下で、白いドレスを着て、白い傘を持ち、威厳のある白く美しい顔の女性がそこに立っていた。その人自身が発光しているかのように淡く白い光がその全身を包み込んでいた。私たちはほんの一瞬互いに目だけで挨拶を交わした。半世紀近く過ぎた今でもその時の光景は鮮明に記憶に残っている。私はそれからもしばらく横浜に住んでいたが、その人を見かけたのはその時が最初で最後だった。今思えば、懐かしいあの頃から、私たちは光速でこの宇宙を旅している。

「重力」 2020.12.21

アインシュタインの特殊相対性理論には、ある場所で発生した事象は光速を超えて別の場所に存在する第三者にその情報を伝えることはできないといった大原則がある。もしこの原則を破ってしまうと時間が逆行してしまい因果律が破れてしまうことがその背景にある。ある観測者からみて十分に遠い宇宙空間は光速を超えて膨張していると考えられるが、空間における距離の膨張率が光速を超えてしまうことからその遥か遠くの宇宙空間で発生した情報が光速を超えて観測者に届けられることはなく観測不可能となるため、相対論的因果律にはなんら矛盾しないのだとされている。つまり光速を超えて情報が伝わってはならないという原理原則を守りさえすれば光速の速度制限には抵触しないということだ。宇宙の空間自体が光速を超えて膨張しているとしても、光速を超えて情報が伝わるわけではないため速度制限のお咎めを受けることなく、光速スピード違反を取り締まるハイパー白バイに検挙されることはないのだ。しかし私の個人的な思いを吐露してしまえば、どのような手段でも、たとえ光速白バイの追跡を振り切ってでも、筒井康隆の「時をかける少女」のようにあの日の土曜日の実験室に戻りたいと思うことがある。さて、ここでさりげなく空間自体が膨張することが理論の辻褄をあわせるための大前提となっているが、そのことの意味を十分つきつめると重力とは何かといった答えに行き着く。身近なこの地球を例にとると、空間と定義されたこの辺境な器の中でさえ人間を含む素粒子よりもさらに極微のレベルで膨張していることに違いはない。この宇宙のすべてが同時に膨らんでいるのだから、どこといってその中心もない膨張を続けていることになる。等倍で膨張していることから、仮に過去のAと定義された時点で直径が1メートルであった物体Xが未来のBと定義される時点では2倍に膨張して直径が2メートルになったとしょう。同様に過去のA時点で直径が1万キロメートルであった物体YはB時点では2倍に膨れあがり直径が2万キロメートルになる。一方、同じ器(系)の中に同時に存在し同じ割合で膨張する物体Xと物体Yは、同じく同じ器に存在し同じ割合で膨張する物差しで測定されることから二つの物体の長さや相対的な位置情報に変化は見られずあたかもそれらがずっと静止したままであるかのように見えるのだ。つまり物体Xと物体Yの膨張の割合の和が加速度となり、私たちはそれを重力として体感する。現代物理学者は一般相対性理論での重力波を媒介する素粒子を血眼になり追いかけているようだが存在しないものを見つけることはできない。

「木星から来た男」 2020.12.19

私が山下公園近くの小さな事務所で働きはじめて間もない頃のこと。北欧の白い豪華客船が去ったばかりの雨の日の正午、私はいつものとおり県民ホールの最上階にある英一番館でランチとお茶をしていた。小雨に煙る港を見ているうちに、にわかに雨の公園を散歩したいといった衝動に駆られ読みかけた異邦人をポケットに入れ、傘をさして公園に向かった。公園の端にあるインド水塔の前あたりで立ち止まりしばし港の風景をみていたときのこと、突然後ろから「こんにちは」と声をかけられた。振り返ってみると清楚な身なりの男が傘もささず静かにそこに立っていた。小柄で縄文人のような堀の深い顔で懐かしそうに私を見ている。誰もいないはずの公園でいきなり声をかけられたものだから、返す挨拶も忘れて思わずどこから来たのかと訊ねてしまった。しかしその男はやはり微笑んだままでごく自然に木星から来たのだと答えた。今は大学の考古学の先生のところで古い地層の発掘のお手伝いをしていると言っていた。その日の私の記憶はここで途絶えている。今から約40年も前のお話です。2017年10月19日、ハワイ州マウイ島のハレアカラ山頂にある一台の望遠鏡が奇妙な物体を捉えていた。軌道離心率が約1.199という極端な双曲線軌道で太陽系に侵入し、時速約14万Kmの速度で太陽をフライバイした後遠ざかっていった。この物体はハワイ語で遠方からの初めての使者、または斥候を意味するʻOumuamuaと命名され天体観測史上初となる太陽系外から飛来した恒星間天体となった。太陽系に最も近いとされる恒星プロキシマ・ケンタウリから地球までの距離はおよそ4.2光年。平均時速10万Kmで航行したとしてもおよそ4万5千年かけて到達できる距離となる。人類は死を万人共通の概念として当然のごとく受け入れているのだが、この宇宙にはアポトーシスの呪縛から解放された死の概念がない生命体も存在する。時間や空間の受け止め方が人類とは全く異なる生命体にとって、4万5千年という歳月は地球上で自ら棲息する惑星の自転周期を数えながら老いさらばえてゆく生命体にとっての瞬きにも満たない単位なのかもしれない。彼らは日々旅にしてこれを棲み処とする永遠の旅人なのだ。

「かにかくに祇園はこひし」 2020.9.14

京都駅を降りてすぐに地下鉄東西線に乗り蹴上駅で下車し、私の今回の旅の最初の目的地である花山天文台に向かった。口径が45cmもある屈折赤道儀に案内してもらい写真に数枚収めさせてもらった。望遠鏡を収納する9mドームは晴れ渡る秋空に映えその雄姿を拝見できただけで十分に幸せだった。次の目的地はラガード研究所だったが、出町柳からバスに乗り北白川あたりで下車し今出川通りを行ったり来たりしながら1時間ほど探したのだけれど、ついに見つけることが出来ず白沙村荘を通り過ぎて銀閣寺まで来てしまった。閉館までのわずかな時間で庭を拝見した後、神山天文台を訪問し星を観望させてもらった。反射鏡の大きさが1.3mもある巨大なリッチー・クレチアン式の白と青に塗装された威厳のある望遠鏡で星を見せてもらえるなど夢のような体験だった。バスと地下鉄を乗り継いで京都駅前の宿に戻り、宿の裏通りにあるビアホールに向かった。店の前には順番を待つ人の列が出来ていたが、幸いなことに1名だけの立ち飲み席が空いたとのことですぐに中に案内された。店内は活気に溢れオレンジ色の電球に煌々と照らされた人々の表情は皆明るく地球上にある幸せがこの一点に凝縮されているかのようだった。ビールジョッキを傾けながらその日カメラに収めた画像を確認しているうちに、これまで一度も訪れたことがなかった夜の祇園をどうしても撮影したくなり慌てて店の会計を済ませ八坂神社方面に向かうバスに飛び乗った。先斗町を通り抜け人気のない夜の祇園を白川に沿って一人歩いているといつの間にか巽橋に来ていた。暗闇の中に大きな石碑がたっている。目を凝らしてよく見ると、「かにかくに 祇園はこひし 寝るときも 枕のしたを 水のながるる」と刻まれている。まだ学生だった私は、夏休みになると神戸の自宅から京都に毎日のように通い先斗町や祇園を散策しては舞妓さんや古都の風景を写真に撮っていた。吉井勇や島村抱月、与謝野晶子が好きだった。あてどなく辺りの風景を写真に収めながら私は次に向かうべき場所を模索していた。この宇宙で一時の生命を授かり、朝露のように去りゆくその刹那、夜の祇園を逍遥する。流れ落ちる真砂が虚空で静止したままの壊れた砂時計。消えてしまった記憶の記憶。アキレスと亀のパラドックスのように今という瞬間は存在できない。この瞬間は既に過去という次元に飲み込まれ薄れゆく記憶の海に沈殿する。未来と呼ばれる方向から新たな時空間が出現してはまた過去と呼ばれる次元軸の方向に消えてゆく繰り返しなのだ。その夜、花見小路通りを彷徨いながらも向かうべき場所はついに見つからなかった。